中秋節 月明かりの下で 後篇

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「その夜、私は全力で駆けました」

 馬に乗ることも、武術を学ぶことも禁じられて育った。それは、十五歳年上の兄のせい
だった。兄は自分が生まれた年に父から譲位されて王になった。そのため、兄とはほとん
ど顔を合わせることがなく、自分にとって遠い存在だった。
 だが、兄が自分に及ぼす影響は大きかった。兄が幼い頃にたしなんだ乗馬や弓は、母や
周囲の大人たちから、ことごとく反対された。王室の男子であれば普通にたしなむもので、
現に同じ年頃の王室の男子は乗馬も弓も習っていた。なぜ自分だけ学ぶことを禁じられた
のか、幼い頃は理由がわからなかった。
 あるとき、庭でお付きの者と鬼ごっこをして、走り回って歓声を上げていたら、母が出
てきて、ひどく険相な顔で怒った。駆け回って衣服を乱すことは、野卑で下品な振る舞い
だと叱られた。そのときの母の嫌悪に満ちた表情は今でも憶えている。
 反対に、優雅に手を動かすことは手放しで奨励された。それで、幼い頃から絵や書画、
楽器に親しむ日々を送った。
『自分が描いた絵や書画を母に褒めて欲しい、自分が奏でる音で母を楽しませたい』
 そんな気持ちで取り組むうちに、絵も書画も段々と面白くなって上達したが、薦めた当
の母は、通り一遍の褒め言葉を口にするだけで自分の絵をろくに見もしなかった。
 そうして成長するうち、王の悪行が自分の耳にも届くようになった。そのとき初めて、
自分がさまざまなことを禁じられた理由が判った。
『チョナと父母を同じくする方だけに、その御血筋は争えない。ギ(祺:恭愍王の名)様
が王にお成りあそばして、万に一つチョナのような振る舞いをなさったとしても、絵や楽
器のみをたしなんで来られた方であれば、その御力も知れておろう。チョナよりは格段に
御しやすいというものだ』
 兄のように馬で街中の若い娘をさらわぬよう、兄のように弓で面白半分に人を射る
ことのないよう、王宮内を狩り場に見立てて、獲物となった若い娘を走り回って追い
かけぬよう。周りの大人たちのそんな思惑に驚愕し、同時に猛烈な怒りがこみ上げた。
 けれど、その憤りと苛立ちは誰にもぶつけることなく、一人胸の内に抑え込んだ。
『自分は兄とは違う』
 そのことを明らかにしてみせるため、それ以後は馬も弓も、思い切り走ることさえ、己
に禁じて生きた。
 そうやって生きてきたはずなのに、とっさのこととはいえ、少女の手を引きながら全力
で駆けたのだ。それは、束の間のことで大した距離ではなかった。それでも力いっぱい月
明かりの下を、笑いながら駆け抜けた。

「その時の自分は、悪名高き忠恵王の弟でもなく、江陵大君でもなく、ただの少年でした」

 救い出した少女は高貴だった。見知らぬ者に名や家を明かすことを良しとせず、「それな
らばいっそ殺せ」と自分に言った。助かったと安堵して泣きじゃくるのかと思っていた自
分の予測が見事に外れて笑ったことを覚えている。
 その後、通りをいくつか歩いて、知らぬ内に少女が家に帰れるように計らった。しばら
く歩いていると、少女を捜していた家の者たちが駆けつけてきて、彼女を取り囲んだ。役
目はそこで終わったため、通りを行き交う人の波に紛れた。当時自分もまた、簡単には名
を明かせぬ存在だった。

 話を始めてすぐに王妃が顔を上げたのは気配でわかったが、王は語り終えても庭から視
線を戻すことが出来ずにいた。夜店で兎を見たこと、その兎と同じように、王妃が自分の
差し出した餅を食べてくれたことが嬉しくて、それで先ほどあんなことを言ったのだと。
それだけを言うつもりで口を開いたが、思い出しながら語るうちに、母や兄のことまで語
っていた。
 風に時折揺れる灯りの下ではなく、明るい陽射しの下でもなく、月明かりの下で心の内
をさらけ出したのは、いつもと違う世界がそこに広がっているせいだろうか。それとも、
あのときの少女の面差しがどことなく王妃に似ているからだろうか。
「テビ(大妃)に、今も目通りできないのは、あなたのせいではない。私のせいです。オ
モニは、兄と同じ血を引く私が心底怖いのです」
 そのことを口に出来たのは、こうして隣に王妃がいてくれるからだった。どんなことが
あっても、私の傍を決して離れることはないと言ってくれた。その言葉に支えられて初め
て自分が一人ではないことを知り、強くなれた。
 王は少し身構えて王妃と目を合わせる。自分の告白をどう思っただろうか。自分はちゃ
んと話せただろうか。もしかしたら、オモニが会ってくれない本当の理由をどうしてもっ
と早く教えてくれなかったのだと怒っているのだろうか。

 王妃はまばたきもせず、王の視線を受け止める。自分からも告白することがあった。伝
えたい言葉がたくさんあった。それなのに、却って力を込めて歯を喰いしばっていた。
 口を開けば、きっとその瞬間に涙があふれてしまうだろう。こみ上げてくる気持ちに自
分が溺れて、何も話せなくなってしまう。そうではなく、自分の気持ちをありのままに、
全て王に伝えたかった。
『チョナが待っていらっしゃるのに・・・』
 不甲斐ない自分が情けなく、それで余計に涙がこみ上げて、やがてその涙が静かに頬を
伝い始める。王は王妃の涙を見て、ポツリと言葉を漏らす。
「ワンビ・・・すまない」
 その言葉に、王妃は強くかぶりを振る。
「いいえ、いいえ!」
 あなたのせいではないのに、どうして謝るのか。あなたは何も悪くない。悪くないのに、
なぜあなたが謝るのか。そんな言葉の代わりに、涙が滔々と堰を切って溢れ出す。
 王が立ち上がって、自分の傍に歩み寄ってきた。脚にうまく力が入らず、座ったまま
王の上衣を両手で掴んですがりつく。触れたらもうだめだった。安心したせいで余計
に泣けてきて、涙に溺れる。

 自分にしがみついて泣きじゃくる王妃を、王はやさしく抱きしめる。泣き声を聞きつけ
て、チェ尚宮とアン・ドチが心配そうな顔つきで駆け寄ってきた。王は二人を手で制して
下がらせる。しばらくして、くぐもった声が耳に届く。
「ずっと・・・お傍に・・・」
 王は、王妃の背中を優しくとんとんと叩く。
「ワンビ、私の手を離さないでくれ」
 しばらくしてから口を開いた王のその言葉に、王妃は王の上衣をより一層強く掴んで
泣いた。

 「いつか、お伝えしたいことがあります」
泣き止んだらそう言おう。いつの日か、あの夜のことを私もチョナに聞いて頂きたい。

『観音様、仏様、天の神様。どうか、私をチョナのお傍に居させて下さい。
ずっとずっとチョナのお傍に居させて下さいませ。どうか、どうか・・・』

<終わり>
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「そういえば、魯国公主はあの少女が自分だったと恭愍王に話したのかな?」
そんな疑問からふくらんだお話だったのですが・・・自分だったと明かさないまま
お話が終わっちゃいました。

書いてるうちに展開が変わってきてしまい、思ったより時間がかかりました。
待ってて下さった皆様、ありがとうございました♪

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