年表の補足記事(1368~1374年)

ここでは、「年表の補足記事(1368~1374年)」 に関する記事を紹介しています。
今回は王妃を亡くしたあとの恭愍王を中心に書いていきます。

1368 ワンゴ死去。
   明が建国される。
1369 改革を推進していたシンドンは王に謀反を起こそうとしたという罪を被せられて
   スウォン(水原)へ流刑される。
1371 シンドン(辛旽)が処刑され、チェ・ヨンは復職する。
   恭愍王が子供(禑王)の存在を公表する。
1372 恭愍王、子弟衛(チャジェイ자제위)を設置する。
1374 7月 済州道(チェジュド)で乱が起き、チェ・ヨンが鎮圧する。
   9月 恭愍王が殺害され、禑王が11歳で高麗32代目の王に即位する。
   (トッタブラが高麗王になると宣言するものの、実現せず)

1368年。
元を押しのけて明国が興り、奇皇后は息子アユルシリダラとともに北へ逃れて北元という
王朝を興したようです。
以前彼女のことを調べたときには生没年が不明でしたが、今回調べてみたところウィキの
情報が更新されていました。ドラマの影響ですよね、きっと。
彼女が生まれたのは1315年だそうです。
1368年には捕虜として(明国に?)捕まり、1369年には亡くなったようです。
(ちなみにキ・チョルは次男ですが、長男が早世したので事実上長男だったと情報が
 更新されていました)

話を年表に戻します。
1369年にシンドンが反勢力の企みによって失脚して流刑になり、1371年に彼が処刑されると
すぐに恭愍王はウ王の存在を公にして宮へ入らせます。
このとき息子ウ王は初めて父と謁見し、ウ(우禑)という名をもらいました。
(名前をもらうまではモ・ニノという名前で過ごしていたようです)

王はウ王の出自が疑われることを憂慮していました。
そのため1374年には、既に亡くなっている側室がウ王の生母だったのだと言ってその
側室の位を上げていますが・・・余計に疑惑を大きくしただけでは?と思ってしまいます。
ウ王のお話は次回に・・・

王には5人の側室がいました。
王妃の生前に側室になった恵妃(ヘビ)以外は王妃が亡くなってから跡継ぎを設けるために
次々と入内したようです。
1367年に益妃(イッピ)と定妃(チョンビ)、1371年に愼妃(シンビ)が入内していますが、
ウ王の生母とされたあと一人の側室韓氏については生没年が不明のため、わかりません。
でも誰一人として王との間に跡継ぎを設けることは出来ませんでした。

王は王妃が亡くなったあと、酒と色に溺れたようです。
色に溺れたなら世継ぎも出来そうなものをとお思いでしょうが、男色に溺れちゃったのです。

チュ・ジンモ氏とチョ・インソン氏の男同士のベッドシーンで話題になった
「霜花店(サンファジョム)」という映画をご存じでしょうか?
あの映画でチュ・ジンモ氏が演じた王が恭愍王なのです。
(個人的にはあのベッドシーンは格闘技にしか見えず、ムードもへったくれもなかったと
 思っています。でも内容は好きなんですよね、あの王の不器用さがよかったです)

1372年に王は子弟衛という官庁を設置しました。
人材育成をめざして王権と国権を強化する目的で設置されましたが、どうやら美少年たちを
集めるのが主な目的だったようです。
その中でもホン・ニュン(洪倫홍륜)とチェ・マンセン(崔萬生최만생) は王に気にいられて
いたようで・・・
同年の10月。
王は自分の側室たちにホン・ニュンらと関係を結ぶように強要したという記録が残っています。
(関係を結んで男の子が生まれたらその子を実子にする思惑があったようです。
 ちなみに子弟衛の青年の中には妃と関係を持つことを拒んだ者もいて、そういう者たちは
 庶民に降格されていたようです)
恵妃、定妃、愼妃はこれを最後まで拒んだそうですが、益妃は断りきれずにホン・ニュンらと
関係を持ちました。以後は王命を口実にホン・ニュンらが関係を迫り、益妃も断ることが
出来ずに関係を持っていたということですが、これが次の事件の引き金となります。

1374年。
益妃はとうとうホン・ニュンの子供を妊娠します。
チェ・マンセンがそのことを王に報告に行くと王は非常に喜びながらもその子供の実の父親
であるホン・ニュンを殺す計画を立てます。
子供の出生の秘密を知る者は残らず殺される、自分も消されるかもしれないと不安になった
チェ・マンセンがそのことをホン・ニュンに話してしまいます。
陰暦の9/22。
消されるのを怖れたチェ・マンセンとホン・ニュンらは逆に恭愍王を殺害しました。
享年44歳、王妃の死から9年後の出来事でした。

益妃が後に産んだ子供は娘でしたが、1376年陰暦12月に大臣たちから意見が上がり、ウ王の
命令で殺害されたそうです。
殺害を命じたウ王はまだ13歳、殺された娘はまだ2歳ぐらいだったのではないでしょうか。

年表を見て、ついてないなぁと感じたのがトックン君。
彼は1364年に奇皇后たちの後ろ盾を受けて攻め入りますが、もうあと5年ほど待っていたら
王の座に就けたかもしれないなぁと思いました。
王妃を失くしてやる気のない王、生まれた子供は王の子なのに周囲は疑いの目で見てるし、
それなら正当な血筋のトックン君を・・・という声が上がってもよかったのに。
タイミング悪かったなぁとちょっとだけ同情したりして。
きっと時代が彼を求めなかったということでしょうね。

恭愍王は王妃が亡くなってからはダメダメな人ですが、ドラマでもあったように元から強制
されていた服装や髪形を廃止したことは素晴らしい功績だと思います。
恭愍王が重用したシンドンも権力者たちが奪った土地を元の持ち主に戻してやったり、奴婢
の身分に落ちた人々を救ったり、成均館を再び設置したりと民衆のためにいろいろと善政を
行いました。
民のために善政を行おうとすると足を引っ張るのは貴族や新興の勢力者たち。
恭愍王は外敵に常に悩まされましたが、一方で内側の敵もまた厄介だったんだろうと思います。

次の記事ではウ王(恭愍王の息子)とチェ・ヨンの後年について書くつもりです。
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コメント
この記事へのコメント
おはようございます。

> やっぱり、コンミン王には本当に本当に驚き過ぎて、まだまだショック状態です。
王妃が亡くなったあとの荒れ方がひどいですね。
ウンスが一度目にヨンと宮を出る際に王妃にそれとなく健康を気遣うように話します。
王妃がいなくなったあと、王が失意に陥って立ち直れないことを知っていました。
もしかして男色の話も知っていたのかも!?

> このまま、シンドンが生きていたら、ヨンが危なかったかもなので。
この時代、仏教は貴族たちと結びついて権力を得ていました。
王からお墨付きをもらったシンドンは当初はちゃんとした改革を行っていましたが、
やはり権力を握ったシンドンにすり寄る者は多く、次第に権力争いに身を投じたのかもしれません。
チェ・ヨンは名門貴族出身ですから貴族勢力、シンドンは仏教勢力、イ・ソンゲは新興の勢力として
お互い派閥があったと思います。
それらの派閥が勢力図を書き換えてやろうとやっきになるので内輪もめが続いたんでしょうね。
ヨンはそのとばっちりだったのかもしれません。

>でも、そのヨンの復帰から数年足らずで、コンミン王は亡くなってますし。
ヨンもこの世に未練がありませんでした。
そんなときにウンスに出会い、生きる目的ができました。
王は生きる目的を喪いました。
この世に未練がないことを何よりもヨンは知っていたのかもしれません。

> そして、コンミン王の息子と呼ばれる、シンドンの侍女の子供のウ王。 
ウ王が誰の子供だったのか、今ではDNA鑑定で明確にわかりますが、あの時代は
本当のことは産んだ女性以外はわからなかったのではないかと思います。
真相は藪の中・・・ですね。

男色にのめりこんでいたのであればその頃にはもう女性を抱く気はなかったか、
出来なかったのかも。
それでも世継ぎを求められるので困った王は家臣と寝るように側室に強制した
のかもしれません。それとも単なる酔狂でそんなことをしたのでしょうか。
一人の女性を一途に愛した男性としてすごく印象のいい王ですが、王という立場で
考えてみると失格ですよね。
民のことは他人(シンドン)に任せてほったらかしにしちゃったんですから。

ちなみにもしウ王が生まれていなかった場合は、王族の中から誰かが選ばれて
王になっていたと思います。
(トックン君が一番近かったと思いますが・・・残念)

>本当に、心底ワンビママを愛していたことがわかりました。
>これから、あまり、コンミン王の悪口、言えなくなりそうです(笑)。
ヨンを辛い目にばっかり遭わせる王に辛口評価だったまつさんでさえも
王の一途さにちょっと情がほだされましたか(笑)

> あの映画!?
> でも、、話題のあのシーンはムードないんですね~(笑)。
えーっと・・・私の個人的な感想です。
機会があれば見て下さいね。
私もまたこの映画が見てみたいです。
王=コンミン王という認識で見るとまた違った印象や感想になりそうです。

> でも、、昨日から、少し韓国語の疑問が…。
> 最近、ここ一年以上ですが、信義のおかげで現代ドラマをずっと見てないので、忘れてしまって..
> 兄の奥さんて、まつから、オンニ、でいいのかなぁ?って。
ふぬぬぬ・・・どうなんでしょう??
わからないのでさっきググッてみました。

http://www.kpedia.jp/p/77-2

これによると「새언니セオンニ」でいいのかなぁと思います。
呼び方って・・・複雑
韓国の方と結婚するならこの学習が必須なんですね~
大変そう(汗)

2014/03/07(金) 05:55 | URL | おりーぶ #-[ 編集]
おはようございます。

> メイキングですが、おりーぶさんの気持ちわかります。
私の「信義病」も困ったものです(汗)
小説が完結するか、もう少し時間が経てばこだわりもいつかなくなって
メイキングを楽しめると思います。

子供ができてからは勉強はストップしています。
まとまった時間が全然取れないです。
なので韓国語はちっとも上達しないままで、毎日触れていなければどんどん
忘れていってます(笑)

> エンジェルフライトの事をお話ししたくて、お邪魔しました。
奇遇ですね!
私は以前テレビで特集されているのを見て本を読みました。
あの言葉が印象に残りました。
機会があれば読んでみてくださいナ♪

2014/03/06(木) 05:53 | URL | おりーぶ #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014/03/06(木) 05:46 | | #[ 編集]
いつも丁寧なコメントに恐縮です。
すぐ書いているのには、訳があるのですが、「エンジェルフライト」のに触れられていたからなんです。実はこの本かなり前から読みたいと思っていた本だったのですが、今に至ってます。まさか信義の縁で名前が出てくるとは、思いませんでした。びっくりしました。
メイキングですが、おりーぶさんの気持ちわかります。以前日本のドラマでしたがはまり、俳優さん(正確には俳優ではなく、歌手)が好きになり、でもドラマの役と、普段の彼はかけ離れていたのせ、最初はそのギャップについていけませんでした。おりーぶさん一本筋が入ってて素敵です。
小さなお子様がいらして時間の使い方教えて欲しいくらいに勉強されたりとアクティブでカッコいい!!
エンジェルフライトの事をお話ししたくて、お邪魔しました。
2014/03/05(水) 21:54 | URL | シナモンロール #-[ 編集]
こんばんは

コメントありがとうございました。

> 男性と女性の間でも、恋は、自分の好みを出せるしこんな人が好いと条件が言えますが、愛は、相手の事を相手の心を第一にするといいます。
>
> 初めは恋であったはずの、王と王妃は一緒に暮らすうちに、恋を愛に育てたのでしょう。
> そうなると、側室も薦めるだろうし、すすめられた方も、そのほうが、相手が苦しまないと呑むのではないでしょうか。何せ子供が居ない夫婦です。愛は相手にのみそそがれた筈です。手をつないでも、微笑みあってもトキメイタ時間だったでしょうね。育った愛を、愛の心を余りにも大きくしてしまったお互いが、欠けた時、その形のないでも確実にある力を、王は何処にふるったのでしょうか?何度も何度も身悶えしたでしょうね。いなくなった片割れを恨んだかもしれません。
> 子供が助かっていればまだ形が取れたかもしれません。
そうですね。
せめて王妃か子供、どちらかが助かればこんなことにならなかったのかもしれません。
これもまた彼の背負った宿命だったのでしょうか。

王は何年も側室を持たずに王妃だけを愛しましたし、王妃もなんとか王の気持ちに応えたかった。
それができずに側室を迎えた日、王妃は泣いたでしょうし、王はそんな王妃が心配で心ここにあらずだった
のかもしれません。
それだけに王妃の懐妊はどれほど二人を幸福に酔いしれさせたのかと思うとその後の王の捨て鉢な
態度もまあ理解はできます。(国民は迷惑ですけどね、そんな理由で政治を投げ出されては)

王は王妃の肖像画を描き、それを眺めては懐かしんでいたといいます。
立ち直れない哀しみを憎しみや恨みに変えるのは生きていくための防衛手段かと思います。
なんとなくですが、王にはもう憎む力も残っていなくて、ただただ嘆いていたのかなぁと・・・

> 国と国との争いも、男女間の争いも、一見利害や差別からのようにみえます。
> でも彼方此方旅をしている私からしますと、争いは、お互いの愛憎の変形に思います。
> 最も争いから遠く思える愛という形のないしかし確実にある物が争いを呼び起こす人間の性というものを改めて感じます。
愛と憎しみは正反対のようでいて似ているものですよね。
歴史のことを調べていると人の思惑、嫉妬や愛などが大きな事件を起こし、国を揺さぶり、
一つの時代を築くのだということがよくわかります。面白いです。

> 中国の諺に、酒は人の心を濁し、茶は人の心を研ぎ澄ます。というのがあります。
「酒は百薬の長」ということわざもありますが、過ぎればやっぱダメなんですね。
(私は下戸でほとんど飲めませんが)
お茶が人の心を研ぎ澄ますのですか・・・人は古来からどれだけお茶というものに触れて
きたのかがわかりますし、人々の生活においてとても大切なものだったのですね。
気持ちをフラットにして大事なことを考えるとき、お茶を飲んでいたのかしらと思うと
私の傍らにある麦茶も文章を書いている私の気持ちを研ぎ澄ましてくれているのかなと
思います。
(たまにボヤ~っとしていてキーボードにこぼしたときは大騒ぎですが)


2014/03/05(水) 21:18 | URL | おりーぶ #-[ 編集]
こんばんは♪

恭愍王に関してはいろいろと驚くことがありました。
調べてビックリなことが多かった人です。

「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」というノンフィクション・ドキュメンタリーの本があります。
海外で亡くなった方の遺体を日本へ運んだり、その逆で日本で亡くなった方を海外へ運ぶ仕事を行っている
会社の女社長が、
「愛する人を喪ったとき、両親であれば「過去」を、伴侶であれば「現在」を、子供であれば「未来」を
 その人は失うことになる」
とおっしゃっていた記憶があります。

王は現在と未来を一度に失ったのか・・・とその言葉がふと浮かびました。

他の女性との間に子供をもうけることは王妃に悪いと思ったんでしょうか。
(この時点ですでにパニャは懐妊していましたが)
その子に情がわいたら、王妃と一緒に死んだ子が可哀想だと思ったんでしょうか。
王の心はわかりませんが、誰の声も届かないところにいたことだけは確かですね。

メイキングのみを集めたDVDもドラマのDVD-BOXも持っています。
どちらも見ることを躊躇するのは監督のことと、もうひとつ白状しますと・・・
変な話ですがドラマの撮影時にヨン役のイ・ミンホ氏がリラックスして大笑いして
いるところがみたくないというのもありませす。
変なこだわりですが・・・ヨンのイメージが壊れそうで見れないんですよね(笑)
ウンスがトックン君との婚姻を承諾して彼の元へ向かうときに禁軍の兵士たちを
ウダルチと見間違えるシーンがあったと思います。
そのシーンでウダルチたちと一緒にいるヨンはちょっと笑い過ぎで、なんだかヨン
じゃないみたいで違和感がありました。
こういう小さいことにケチをつけている私なので、大笑いされたらなんか興ざめしそう
なので怖くて見れないことも理由のひとつです。
(イ・ミンホ氏のファンの方々は笑った顔が好きでしょうに・・・申し訳ないです)
2014/03/05(水) 20:43 | URL | おりーぶ #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014/03/05(水) 09:52 | | #[ 編集]
こんばんは、驚く事ばかりで、あの時代にこのような出来事があったのかと、興味深く読ませて頂きました。男色に走ったなんて驚き、子供の件も
あげたらキリがないのですが、王妃と心通わせたあの時が一番の幸せだったのではとおもいます。幸福とあまり縁がなかったのか、厳しい時代ですね。
信義を見始めた時には、ヨンが実在する人物だとも知らず、ミンホ氏見たさにでしたが、奥深いドラマで、勉強になりました。
おりーぶさんのおっしゃる通り、メイキングは、監督さんと演技の事とか話してるの見ると寂しいものがあります。私が見てるメイキングはお話しの後にあるのですが、おりーぶさんは、メイキングだけを集めたDVDですか?
歴史がわかると、ドラマ見ていても色々思うとこありますね。まだまだスパイラルに陥ってまず。




2014/03/04(火) 23:34 | URL | シナモンロール #-[ 編集]
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