年表の補足記事(1356~1364年まで)

ここでは、「年表の補足記事(1356~1364年まで)」 に関する記事を紹介しています。
今回は1356年~1364年までをご紹介します。

1356 奇皇后を後ろ盾にして権勢をふるっていたキ・チョルを王が粛清する。
1358 チェ・ヨン、倭寇を大討伐(倭寇船400隻を撃破)
   恭愍王の政治改革を主導していたイ・ジェヒョンが辞職する。
1359 紅巾賊の一次侵入。
    ⇒西京(서경ソギョン)が陥落され、チェ・ヨンが撃退。
      ※ソギョンは今のピョンヤンです。
1361 紅巾賊二次次侵入(10万人)。
    ⇒ケギョン(開京)まで侵入した紅巾賊をチェ・ヨンが撃退。
1362 紅巾賊を敗退させてケギョンを復興。
1363 内官アン・ドチ、王の身代わりとなって殺される。
1364 元に反旗を翻すコンミン王を倒してトックン君(徳興君덕흥군)を王にすげ替え
   ようとした奇皇后が一万の兵を率いて高麗に攻め入るがチェ・ヨンが討伐した。


恭愍王は元が内乱などにより衰退してきたことを見極めて1356年にキ・チョルたち奇一族と
それに連なる貴族たちを粛清しました。

そのころのヨンはというと・・・北方からは紅巾賊が攻めてきて、南方からは倭寇が攻めて
来て、高麗の民はいわゆる外敵に常に脅かされる状態でした。
なので恐らく兵を率いて北へ南へと遠征に出かけて討伐していたのではないでしょうか。

ちなみにチェ・ヨンは晩年までずっと外敵の討伐に北へ南へと行っていて、中央の政からは
遠かったようです。
記録にも、チェ・ヨンは一生を軍門に従事したが、知った顔は3、4人程に過ぎなかったと
評価するほど軍隊内の派閥争いからも遠かったという記述があるようです。
ただひたすらに高麗の民を外敵から守るために国内のあちこちへと出かけていたんですね。

ドラマの内容で妄想すると、この紅巾賊の侵入の際にはウンスも子供たちを連れて一時は
ケギョンから離れたのかなぁと。
それなら一時住む場所として水辺にある藁ぶきの・・・あ、外敵が船で来るから水辺はNG
かもしれない、だったらマンボ姉弟たちのところへ・・・と。
(ヨンはウダルチと一緒に紅巾賊と戦っているので留守にしているのだと勝手に妄想設定中)

妄想の基となる実在のチェ・ヨンの夫人やその子供については生没年が不明なのでこのときに
子供がいたのかどうかもよくわからない・・・と思っていたんですが、チェ・ヨンには孫娘が
いて、結婚していたことがわかっています。
あ、ちなみにチェ・ヨンには息子(チェ・ダム)と娘(名前不明)がいました。
ユ夫人のほかに一人だけ妾(名前、生没年不明)がいてその人が娘を産んでいます。
ヨンの子供たちのお話はもっと後でご紹介するとして・・・

1388年に孫娘が結婚していて20歳だと仮定して・・・その子が1368年に生まれているなら、ヨンの
子供が結婚したのがそのぐらいで、ということはヨンの子供が生まれたのは・・・1348年ぐらい?
はっ!1355年に再会してるから早く産まなきゃつじつまが合わない!と一人で妄想して一人で
焦っていた私です(笑)
なので再会したあとでウンスはすぐに子供を二人産んで・・・と妄想し直しました。
息子の名前のほうが先に記載してあったので恐らく男の子が先に生まれて、次に女の子が生まれた
と考えてそれが1357年?
その女の子が15歳ぐらいでお嫁に行って1372年・・・嫁いですぐに娘を産んでその子が母と同じ
年頃で嫁いだとすれば1388年に結婚していたという史実と・・・辻褄がやっと合います(笑)
昔の人は結婚が早かったですしね~(言い訳)

まあ・・・多分・・・実在のユ夫人はもっと早くに子供を産んでいたと思います、ええ。

話は年表に戻りまして・・・
恭愍王は自分の思い描いた政治を行おうとしますが、1358年の倭寇に始まり、翌年には紅巾賊が
ケギョンまで侵入して国力は疲弊し、衰退します。
儒学者で政治家のイ・ジェヒョン(ドラマに登場したあの偉い学者さんです)は恭愍王の改革が
思うように進まない責任をとって辞職を願い出て、王の前から去っていきます。
政に関する相談相手がいなくなり、このころから宮に出入りするようになったシンドンを側に
近づけるようになっていきます。

1362年に紅巾賊の戦乱が平定されたものの、また侵入されたらと思ったのか1363年2月にケギョン
から離れて一時的に興王寺(お寺かな?)に宮の機能を遷して政を行っていた恭愍王。
お寺で政を行っていたのはやはりシンドンの影響もあったのでしょうか・・・

1363年3月。
プ・ウォンベ(부원배附元輩)たちと結託したキム・ヨン(김용金鏞)は反元政策を試みた恭愍王を
殺害するために興王寺に彼の私兵50人余りを送ります。
この時王を警護していた者たちは皆逃げて多くの家臣たちが犠牲になり、その渦中でドラマにも
登場していた王の内官アン・ドチも殺されます。
アン・ドチは自分の顔つきが王と似ているからと王の身代わりとなって死ぬことを決心し、
宦官に王を背負わせて窓から逃がしたあと、自分は王の寝台に横になり、王と間違えた敵に殺害
されたというのが記録に残っています。(『高麗史』)
ドラマではこういった史実を踏まえて忠臣アン・ドチのキャラが作り上げられたのでしょう。

アン・ドチは王の代わりに死ねて幸せだったかもしれません。
きっと幸せだったと思います。
この後王の身に降りかかる不幸を目の当たりにしなくてよかったんですから・・・
(このお話は次回するつもりです)

1364年。
ウンスに毒を盛ったあの憎たらしいキャラだったトックン君(徳興君)が再び登場します。
史実によると彼は僧侶だったようで、恭愍王が即位するとすぐに元に逃げています。
ドラマでもトックン君はヨンたちの追跡を免れて元へと逃げて行きました。
そんなトックン君ですが、やはり次の王に近い存在という手駒として元に使われたようで、
兵を率いて1364年に高麗へと攻め入ります。
でもヨンやイ・ソンゲたちの高麗軍に負けて元に戻り、翌年の1365年には「君」の称号を奪われて
永平府(영평부ヨンピョンブ)に流刑にされたようです。
(永平府がどこにあるのか不明。中国の地名だとは思うのですが・・・)

この当時高麗における仏教の勢力は貴族を後ろ盾にしてかなりの力を持っていたようです。
そのため朝鮮王朝を開いたイ・ソンゲは高麗時代の旧勢力を弱める目的で仏教を弾圧しました。
(イ・ソンゲを支持する層が儒教勢力だったこともあるようです)
ちなみにイ・ソンゲは後年になって息子たちが王位継承で殺しあうようになり、そんな事態に
ほとほと嫌気がさして寺にこもり、念仏に明け暮れたとか。
仏教を弾圧した人が仏教にすがる・・・というヘンテコな構図が出来上がるわけです。

トックン君はどうして元へ逃げたのかを考えてみると・・・
恐らくドラマ通りで次の王に一番近かったか、或いは恭愍王が王に推されたときの対抗馬が
彼だったのかもしれません。
僧侶だから俗世とは縁を切ったと主張しても、それは「還俗」すればクリアされる話です。
「還俗」とは、俗世を離れて僧侶という身分になった人が再び俗世に戻ること。
キョンチャン君は王が帰国した翌年に殺害されました。
トックン君は自分の身を守るために元へと逃げたのかなぁと。
彼の生没年は不明ですが、忠恵王と恭愍王の父である忠粛王は次男で、トックン君は六男。
(忠粛王とトックン君の母親は違います)
どちらかといえば甥たちと歳が近かったのかもしれない・・・だから王の対抗馬になり得た
んだろうなぁと勝手に想像していました。
恭愍王が元に反旗を翻した場合、元は当然ながら他の人物を擁立しようとするでしょう。
それを見越して恭愍王もしくは彼を支持する者たちが候補になりそうな者たちを消した、
もしくは消そうとしたのかもしれません。

次回は1365年について記事をアップする予定です。
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コメント
この記事へのコメント
おはようございます。

> ドラマのヨン=史実のヨンと思い込んでる私は、この年表を拝見して、一人で、ええぇ~(゜´Д`゜)となっています。それは、ヨンに側室がいた事です。

akiさんと同じで私もドラマのヨンと実在のチェ・ヨンが同一人物に思えてしまい、
この記録には少なからずショックでした。
ユ夫人(ウンス)一筋でいて欲しかった・・・
この件に関してだけは実在のチェ・ヨン将軍にちょっとだけ失望です(笑)

年表の記事は3回ぐらいに分けて書くつもりだったのですが、あれもこれもと
欲張っていろいろと詰め込んでいるのでもう少し回数がかかりそうです。

これから更新する記事は高麗王朝の衰退と断絶なので明るい話はなくなってしまい、
悲しい出来事ばかりとなります。
全体的に暗い内容ですが史実としては興味深いエピソードもありますので、
最後までおつきあいいただければ嬉しいです。

2014/02/26(水) 04:33 | URL | おりーぶ #-[ 編集]
おはようございます。

ありがとうございます。
年表作りは頭を整理する意味で作りましたが、お役に立てているようで嬉しいです。

> タイムスリップは、色々読んでいくうちに納得したのですが、私がどうしてもわからないのが、ウンスは、あの出来事をわかっていて書いたのか?先に経験したから手紙を残したの?
おおっ!
それは私も疑問に思ったのですが・・・「わからない」というのが答えです(笑)
ソン・ジナ女史はファンからの質問でウンスが過去のウンスからもらった手帳や手紙などを
持って百年前に行ったと回答されてました。
(スインに襲撃されたときにはとりあえず逃げることしかなかったし、あとでヨンが彼女の
 荷物を持っていってあげたとは考えにくいのですが・・・あのドタバタしたなかで彼女が
 服にでも入れていたということにしましょう!)

ソン・ジナ女史は過去の手帳などはウンスが過去で燃やしたという設定にしたかったようです。
そうすると高麗1351で遺物として存在している手帳がフッと消えてしまうというシーンも
考えていたそうですが、視聴者が混乱するからという理由でカットされました。
(確かにそうかもしれません)

その設定になぞらえると・・・
過去ウンスからもらった手帳&手紙を書き写したあとでウンスは過去ウンスからもらった
手帳を燃やした。
(同じものが存在してはマズイのではという判断で燃やした。高麗1351ではいなくなった
 ウンスのものらしき遺物を王の命令で厳重に保管していたが、手帳だけが忽然と消えた。
 ちなみに高麗1351に残っていたのはウンスのサインが書かれたページのみ??)

ウンスも恐らくタイムスリップの仕組みがよくわからなかったのだと思います。
これから起こる出来事についてはわかっていたけれど、詳しく書けば未来に干渉することに
なるかもしれない、手紙に書いてあることを経験したわけじゃない、だけど手紙を書かなければ
未来が変わってしまう・・・いろいろ考えたあげく、手紙と手帳を書き写して過去のウンスが
してくれたように自分も手紙を隠すことにしたのだと思います。
今自分がいるのは高麗1251で、ヨンたちがいた高麗1351よりは過去にいることは間違いない。
過去の出来事が未来を変えてしまうかもしれないことを恐れて過去のウンスをなぞって同じことを
したのだと思います。
ウンスが一番恐れていたのはヨンに会えない未来になってしまうこと。それを避けるためにあえて
過去のウンスをなぞったのだと・・・考えています。

> しばらくは信義ですね、ミンホさんの相続者も今だに見てませんでなく、見れないのが正直なとこです。
同じですね♪
私もいまはまだまだどっぷりつかっている状況で他のドラマに興味がなくて(笑)
もう少し「信義」で楽しい日々を送りたい私です。



2014/02/26(水) 04:23 | URL | おりーぶ #-[ 編集]
おはようございます。

ちゃんと届いていました。
FC2ブログではサイトが荒れないように禁止用語をいくつか設けているようです。
知らずにその禁止用語をコメント内容に含んでしまうと「不正投稿」と判断されます。
「不正投稿」はサイトの管理人側からは「迷惑コメント」という通常のコメントとは別の
場所に割り振られますが閲覧したり、サイトに反映させたりすることは出来ます。

禁止用語とみなされるのは卑猥な言葉や、人を脅かす言葉です。
今回は「○す」が引っ掛かったようですね。
なのでその単語は加工しました。

> 生きることが相手を○す、守る事が相手を滅す、逃げると、食べる事すら寝る事すら出来なくなるという時代であったのですね。
>
> 大陸の中の小国、そして大国の中の庶民、今でもアジアやアフリカに行きますと感じる事があります。
> 私がお茶にひかれたのは平等であるからです。
> イギリスの女王もアフリカの部族も一杯のお茶を頂きます。部族のお年寄りの女性が皆が戻ると大きな鍋で茶を沸かします。子供達はお茶にてんこ盛りにお砂糖をいれあまさと暖かさで心を溶かします。 その時間は身分に関係なく豊かで温かいはずです。そして茶の技術をしっかり学ぼうと思ったのは、中国のお茶摘みのご老人が一日中手でお茶を依って200円位の賃金だと知った時です。それで生活を支え、子供達に教育を与え、今も背負いカゴを持ち山に入ってます。
> お茶は、農産品です。天候やその品物の扱いかたで変わります。
> 私は、技術者は絶対悪い品物を作ろうとはしてないと思います。とくに日本に入る品物は、厳正で細かくみる日本人の特性により現地の方々が普段頂く品物より良い物が入っているとおもいます。
> 私は、中国の茶摘み職人の厚い手の平を見た時、自分の知識と技術、見抜く力の無い事を、品物の品質のせいにはしないと思いました。自分が精進すればいい事です。
>
> チェヨンは高麗の国を守ることを自分にかしたのだと思います。思うようにいかない時も、自分が王になるとかイ ソンゲのように新たに自分が、というのではなく高麗の貴族としての義務を固く果たしたのだと思います。チェヨンの死と共に高麗は滅びました。戦って人を○したとしてもなんと可愛い男なのでしょう(○された方はたまったもんじゃないですが)国が違い思うことも色々違うとわかっていますが、21世紀にオリーブさんと私達が、チェ ヨン讃歌を歌っております。

お茶の話、ありがとうございました。
以前ma2008さんからこのお話を伺って以来、ときどきお茶を飲むときに
「今このタイミングで、わたしと同じようにお茶を飲んでホッとしている人が
 世界中にいるんだなぁ」
と思うことがあります。
考えてみれば当たり前のことなんですが、そのことに気づいてみると改めてそのお茶に携わった
多くの人々に感謝の気持ちがわいてきますし、何だか幸せな気持ちになります。

「信義」というドラマを通してチェ・ヨンという実在の人物を知ったとき、失望するようなことが
ほとんどなかったことに驚きました。(ウンス以外に妾が一人いたことは多少ショックでしたが)
えてしてドラマのキャラと実在の人物はかけ離れていることが多かったのですが、彼はドラマの
キャラだったヨンのように実直な人だったということがわかり、驚いたのです。
驚くと同時に強く惹かれて今のブログがあるのだと思います。
(気づけばここ一年ほとんど「信義」関連の記事しかアップしていません)

こうして「信義」讃歌を、チェ・ヨン讃歌を高らかに歌う私たちですが・・・どうして韓国では
視聴率が悪かったのか今でも不思議です(笑)

2014/02/25(火) 05:57 | URL | おりーぶ #-[ 編集]
ドラマのヨン=史実のヨンと思い込んでる私は、この年表を拝見して、一人で、ええぇ~(゜´Д`゜)となっています。それは、ヨンに側室がいた事です。
勿論、ドラマと史実は違うってことはわかってるんですが、ウンス一筋じゃなきゃやだ!とか、勝手に思ってます。
でも、こうして、あの信義の時代をこのように解説していただくとより一層、ドラマを振り返ることができて嬉しいです。
ありがとうございます。
2014/02/24(月) 22:52 | URL | aki #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014/02/24(月) 21:42 | | #[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/02/24(月) 21:37 | | #[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014/02/24(月) 10:17 | | #[ 編集]
おはようございます。

私も実は(神経性ではないですが)胃炎にはなったことがあります。
あまりにも痛いので医者にいって胃カメラを飲みましたが、少し炎症を起こしている程度でした。
その後も奇節の変わり目などに胃が痛くなることが何度かあり・・・原因はコーヒーを一日に3杯
以上飲むのを続けていると痛むことがわかりました。
原因がわかれば対処は簡単、一日に2杯までとすることで痛くなる回数は減っています。

体重があげたりもらったりできるものであればすぐにでもまつさんに10キロ差し上げたいです。
10キロ減らしても標準体重に遠く及ばないので私のことは心配ご無用(笑)
そういうときのために日頃から備蓄しているのですよ(言い訳です)

胃が痛いときいは食べることが楽しくなくなってしまいますね。
さすがの私も体重が2キロぐらいは落ちます。
滋養のいいものを食べてゆっくりと体調を戻していって下さいね。
体重計にしばらく乗らないことをオススメします。
がんばって食べたのに結果が数字で出ていないとそれがまた辛いので。
私の場合、毎日朝晩乗って監視する毎日です(むむむ)

> 今回も、歴史のことは、あまりわからないのですが‥やっぱり、ヨンが戦いばかりでびっくりでした!!
チェ・ヨン将軍は晩年まで出征していたようです。
何のために戦うのかということに疑問があったヨンは手が震えていましたが、自分には守りたい人たちが
いるから戦うのだと答えを出したときに気持ちは鎮まったのだと思います。
気持ちが鎮まれば、目の前の光景に動揺することなく戦えたのではないかと思います。

ウンスもヨンが出征している間は少しぐらい不安はあったと思います。
だけどそれを振り払って、そのとき自分にできることをせっせと身体を動かしながらやっていた
のではないかなぁと想像します。
そうすれば笑ってヨンの帰りを出迎えることができますし、ヨンはウンスの笑顔を見て心が安らげるの
ですから・・・と想像してます(笑)

> でも、、更に、もう一人、夫人がいたとは、ショックでした!!
> …だから、、考えないようにしておきます(笑)。
これは私も少なからずショックでした(笑)
このあとは実在のチェ・ヨン将軍として年表の出来事をとらえて頂いたほうが気持ちが楽だと思います。
私も次回の記事以降は妄想がストップしてしまいました。

> シンドンは、この時代の人だったんですね~?
> どんな人か、全く知らないのですが、いつもドラマを何故か取り損なうので、そういう意味合いで気になっていたドラマです(笑)。
私も、名前がドラマのタイトルになっていたので「ああ、この人か」と思いました。
同じですね、名前しか知りませんでした(笑)

年表はだんだんと悪い出来事ばかりになっていきますので読んだら辛いかもしれません。
私の妄想も次の記事で限界をむかえていますから、その先の記事は気が楽になるようなことも
あまり書いていないかもしれません。
年表の記事はそもそも参考程度のものですので読んでいなくても全然差支えないのです。
だから無理して読んで、コメントしなきゃ!と頑張らないでくださいね。
気が乗らないことを無理にすると身体が不調を訴えてきますから。

気力が十分に満ちて「読んでみたいなぁ」と思ったときが読むタイミングなのです、きっと。

2014/02/24(月) 05:20 | URL | おりーぶ #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014/02/23(日) 06:27 | | #[ 編集]
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