高麗末期の年表

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高麗末期の年表を作りました。
ほとんどがネットのウィキ情報で間違っている記述なども多いみたいですが・・・
信義の世界を知る際の参考にして頂ければ嬉しいです。

<注>
きっと多分誤記がたくさんあると思いますので、ゆる~い目で見て頂けると助かります。

【「信義」設定】 ⇒ ドラマ、もしくは小説「信義」の設定に於いての記述です。
【小説「信義」設定】 ⇒ 「信義」の設定に於いての記述です。 
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1206 チンギス・カンがモンゴル帝国(遊牧国家)を創設。
1231 モンゴルが高麗に侵入し始める
1232 政権を握っていたチェ・ウがカンファド(江華島)に強引に遷都する。
1258 チェ・ウがキム・ジュンに殺害される。
1269 当時の武人政権が王を廃位させ、高麗太子(のちの忠烈王)がクビライに支援を求める。
1270 カンファドからケギョンへ還都する。
1271 チンギス・カンの孫クビライ・カンがモンゴル帝国を「元」と改め、
    元王朝が興る。
1274 忠烈王(高麗王第25代、在位1年目)元寇(文永の役)
1275
1276
1277
1278 忠烈王(在位4年目)胡服辮髪令を発令
1279
1280 忠烈王(在位6年目)征東行省が置かれる
1281 忠烈王(在位7年目)元寇(弘安の役)
1282
1283
   この間は省略
1307
1308 忠宣王が瀋陽王に冊封、この後忠烈王の死去に伴い高麗王も冊封され即位(第26代)
1309
1310
1311
1312
1313 江陵大君だった忠粛王は父忠宣王から高麗王の譲位を受けて即位(第27代)。
    忠宣王は上王になり、この年に忠粛王とホン氏が婚姻。
1314
1315 忠恵王生まれる(ホン氏17歳で出産)
1316 上王だった忠宣王が甥である延安君(ヨナングン)王暠(ワンゴorワンホ)を
    瀋陽(シミャン)王にして譲位した。<瀋陽王⇒後に瀋王(シワン)に変更>
    忠粛王は元の營王(ヨンワン영왕)の娘濮國長公主を正妃として迎える。
    チェ・ヨン生まれる。
1317 
1318
1319 濮國長公主亡くなる。
1320 忠粛王がワンゴの訴えにより元に滞留させられる。(これより5年間)
1321
1322 チェ・ヨン、生まれる【「信義」設定】
1323 
1324
1325 忠粛王帰国。ワンゴに譲位しようとしたが臣下の反対にあって断念。
1326
1327
1328 チェ尚宮、甥ヨン(当時6歳)の武術の才について兄から相談を受ける。【小説「信義」設定】
     →チェ尚宮はすでに宮にいて、ムガクシだった?
1329 ヨン、父の意向で武術の鍛錬を始める(7歳)【小説「信義」設定】
1330 嫡子だった忠恵王(第28代)に譲位したが、即位した忠恵王(当時15歳)は狩りや遊戯に明け暮れる。
    恭愍王生まれる(ホン氏32歳で出産)
1331
1332 素行不良だった忠恵王が廃位され、忠粛王が復位。
    ヨン、10歳でムン・チフから運気調息を学ぶ【小説「信義」設定】
1333
1334
1335 タナシリ(愛妾だったキチョル妹をいじめていた皇后)が謀反の罪で殺される[於:元]
1336
1337 忠穆王誕生(忠恵王の嫡子)
    バヤンフトが正皇后になり、キチョル妹は次皇后(ナンバー2かな?)になる。[於:元]
1338 忠定王誕生(忠恵王の庶子:慶昌君)
    ヨン16才で家を出て、チョグォルデに入る【小説「信義」設定】
1339 忠恵王(24歳)、忠粛王(父)の死去により復位する。
1340 奇皇后が後の皇太子アユルシリダラを生む[於:元]
1341 恭愍王、元へ人質として行く
1342 誘拐されそうになった王妃を王が助ける【小説「信義」設定】
1343 秋。忠恵王がムン・チフ(ヨンの師匠)を殺害【「信義」設定】
    ヨン、ウダルチテジャンとして任命され、宮仕えの身となる【「信義」設定】
1344 1月。忠恵王、元から召喚される途中で死去(35歳)
    忠穆王(第29代)8歳で即位
1345 瀋陽王ワンゴ退位。瀋陽王は高麗王が兼職することになる。
1346 ヨン、チャン・ビンと知り合う【小説「信義」設定】
1347 王妃、自分を助けた少年が高麗の王子だと知る【小説「信義」設定】
1348 忠穆王死去(12歳)
1349 忠定王(第30代)12歳で即位
    当時江陵大君だった恭愍王が魯國大長公主と婚姻[於:元]
1350
1351 忠定王(慶昌君:キョンチャン君)14歳で廃位
    恭愍王(第31代)が高麗に帰国して即位<20歳>
    ヨン、ウンスと出会う【「信義」設定】
    慶昌君(忠定王、毒を飲んで死ぬ【「信義」設定】
    チョ・イルシン、謀反を企てた末に殺される【「信義」設定】
    キ・チョル、死亡する【「信義」設定】

1352 キョンチャン君が毒殺される。
    チョ・イルシンが謀反を企てて、ヨンたちが制圧する。
     ⇒この出来事でによりチェ・ヨンは護軍(호군ホグン)になる。
1353 奇皇后が生んだアユルシリダラが皇太子として冊立[於:元]
1354 ワンゴの孫トッタブラ?が瀋王の座に就く。
    元の山東省で紅巾賊の反乱が起き、元はコンミン王に討伐のための援軍を要請。
     ⇒チェ・ヨンは大護軍(대호군テホグン)の大将軍として二千人を率いて遠征。
      元で待機中だった高麗人二万人と合流して指揮した。
1355 遠征から戻ったヨンに王は失地回復を命じる。
     ⇒鴨緑江を越えて遼東半島まで元に奪われていた高麗の土地を取り戻す。
      この失地回復の際に活躍したのがイ・ソンゲとその父だった。
     (ドラマでウンスが戻ってきたのはこの失地を奪い返したあとのことです)
    ウンス、ヨンの元へ戻る【「信義」設定】
1356 奇皇后を後ろ盾にして権勢をふるっていたキ・チョルを王が粛清する。
1358 チェ・ヨン、倭寇を大討伐(倭寇船400隻を撃破)
    恭愍王の政治改革を主導していたイ・ジェヒョンが辞職する。
1359 紅巾賊の一次侵入。
     ⇒西京(서경ソギョン)が陥落され、チェ・ヨンが撃退。
       ※ソギョンは今のピョンヤンです。
1361 紅巾賊二次次侵入(10万人)。
     ⇒ケギョン(開京)まで侵入した紅巾賊をチェ・ヨンが撃退。
1362 紅巾賊を敗退させてケギョンを復興。
1363 内官アン・ドチ、王の身代わりとなって殺される。
1364 元に反旗を翻すコンミン王を倒してトックン君(徳興君덕흥군)を王にすげ替え
    ようとした奇皇后が一万の兵を率いて高麗に攻め入るがチェ・ヨンが討伐した。
1365 3/8 王妃が難産で亡くなる(子供は死産or死亡)
    5月、王は当時僧侶だったシンドン(辛旽)を還俗させて登用する。
     ⇒以後、政については王はシンドンに一任するようになり、シンドンと
      彼に反発する勢力の争いが始まる。
    倭寇が江華島(カンファド)などに侵略し、チェ・ヨンが討伐する。
     ⇒しかしその間にシンドンの企みで左遷される。
    7/25 禑王(ウ王)生まれる。
    バヤンフトの死後奇皇后が正皇后になる[於:元]
1368 ワンゴ死去。
    明が建国される。
1369  改革を推進していたシンドンは王に謀反を起こそうとしたという罪で流刑される。
1371 シンドン(辛旽)が処刑され、チェ・ヨンは復職する。
    恭愍王が子供(禑王)の存在を公表する。
1372 恭愍王、子弟衛(チャジェイ자제위)を設置する。
1374 7月 済州道(チェジュド)で乱が起き、チェ・ヨンが鎮圧する。
    9月 恭愍王が殺害され、禑王が11歳で高麗32代目の王に即位する。
    (トッタブラが高麗王になると宣言するものの、実現せず)
1376 チェ・ヨン、出征を志願して倭寇を大きく打ち破り、その功で鉄原府院君になる。
    陰暦3月、パニャが騒ぎを起こす。
1379 ウ王、正妃を迎える(当時の権力者イ・イニムの娘)
1380 陰暦1月、恭愍王の母(大妃)が亡くなる。
    9月。禑王と正妃との間に息子が誕生(後の高麗33代目昌王)
1388 チェ・ヨンとイ・ソンゲが手を組んでイ・イニムを流刑にする。
    2月、明から北部地域を返還するよう求められる。
    3月、チェ・ヨンの庶女(寧妃 崔氏)が禑王に嫁いで妃となる。
    4月、チェ・ヨンは総司令官となって北部地域へと遠征を開始する。
    6/末、鴨緑江(アムノッカン)を挟んで対峙していた高麗軍が副司令官イ・ソンゲの
       命令で王命に背いて開京へと兵を回軍させる。(威化島回軍イファドヘグン)
    7月初、イ・ソンゲたちが開京(ケギョン)を占領し、チェ・ヨンは王を唆した罪で
       京畿道へ流刑される。
       禑王は廃位されて流刑に処され、息子の昌王(当時8才)が王位に就く。
    陰暦12月、チェ・ヨンはケギョンに召還され、後に殺される(享年73才)
1389 陰暦12月、イ・ソンゲは昌王を廃位させ、恭譲王(高麗第34代王)を即位させる。
    同時に昌王と流刑中の父ウ王は処刑される。
1392 陰暦7月、イ・ソンゲは恭譲王を廃位し、国王として即位する。
    明に使節を送り、国号を選んでもらって「朝鮮」となる。

  補足 1351-1355年 ウンスとの出会いから再会するまで
  補足 1356-1364年 その後の高麗
  補足 1365年 王妃の死
  補足 1368-1374年 王の最期
  補足 1376-1380年 次の王の時代
  補足 1388年 チェヨン将軍の最期
  補足 1389-1392年 高麗の最後、李氏朝鮮の始まり


  
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