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高麗末期についての記事の続きです。

今回は1365年について書いてます。

1365 3/8 王妃が難産で亡くなる(子供は死産or死亡)
   5月、王は当時僧侶だったシンドン(辛旽)を還俗させて登用する。
    ⇒以後、政については王はシンドンに一任するようになり、シンドンと
     彼に反発する勢力の争いが始まる。
   倭寇が江華島(カンファド)などに侵略し、チェ・ヨンが討伐する。
    ⇒しかしその間にシンドンの企みで左遷される。
   7/25 禑王(ウ王)生まれる。
   バヤンフトの死後奇皇后が正皇后になる[於:元]

1351年に婚姻した恭愍王とノグク公主。
王と王妃は愛し合っていましたが、二人の間に子供は恵まれませんでした。
当然ながら周囲から、ついには王妃からも側室を迎えて欲しいと王に嘆願し、
1359年には第二妃となる惠妃(ヘビ혜비)を迎えます。
(ちなみに恵妃の父はドラマに出ていた学者イ・ジェヒョンです)
自ら王に他の妃を迎えてくれと願い出たものの、やはり恵妃に対する嫉妬は芽生えた
ようで、王妃は食事を摂らなかったりもしたようです。
そんなにまでして迎えた恵妃ですが、やはり王との間に子供は出来ず。

そして・・・婚姻から14年ほど経った1364年、王妃が遂に懐妊。
このときの王の喜ぶ様子が目に浮かびます。
チェ尚宮も喜びながら前の年に亡くなったアン・ドチがいないことを少し寂しく思った
かもしれません。
皆がお祝いムードに酔いしれるなかで、ウンスは一人で不安な気持ちを抱えていたの
でしょうか。
自分が学んだ歴史通りに進んでいくのであればこの先に見えるのは王妃とお腹の子供の死、
そして王妃の死に絶望して心が死んでしまう王。

ウンスは必死で王妃を助けようとしていたのではないかなぁと想像します。
目の前で苦しんでいる患者がいれば助けるのが医者ですから。
だけどウンスが手を尽くしたものの、やはり王妃は亡くなってしまった。

ドラマで王妃が誘拐されたとき、王は絶望の淵に立たされました。
ヨンなそんな王に「(心が折れていないなら)ご命じ下さい」と言い、王はヨンに王妃の
救出を頼みました。
今回は・・・ヨンも助け出せない遠くへと逝ってしまった王妃。
王はもうヨンの声も誰の声も耳に入りません。
王妃を喪い、哀しみの淵に沈んでしまいました。

その後はウンスの周りでいろんな出来事が次々と起こったのではないでしょうか。
王妃と子供の死についての責任をチャン・ビンは取らねばなりません。
王と王妃の侍医であったならばそれは避けられないこと。
もし、ウンスが典醫寺にいて一緒に医療に従事していたならば、今回の王妃の出産の際にも
手伝っていたか、担当していたでしょう。
やはり同じように責任問題が浮上すると思います。
反元政策をとっていた王に対する抵抗勢力は大きく、ここぞとばかりに『高麗一と言われる
侍医だったのに何をしていたのだ』、『医仙という名を持ちながらなぜ王妃とその御子を
助けては頂けなかったのか』と糾弾すると思います。
チャン・ビンはすべての責任を一人で負い、流刑になったのかなぁと勝手に妄想。
ちなみにキョンチャン君の流刑は重いものでしたが、チャン・ビンの場合はそれよりは軽め
の流刑(門の外へ出てもOKとか)だったのではないかと勝手に想像。

チャン・ビンというキャラは一生を宮に捧げるような人物ではなかったような印象を受けて
いるワタシ。
流刑先の土地でも兵士や民を診ながら過ごし、(多分ウンスが差し入れた)大量の書物を読み、
薬草畑を耕してたりして赦される日まで過ごしていたのではないかと。
たまにヨンが訪ねてきて妻ウンスから頼まれた本をチャン・ビンに渡し、二人で薬草畑を
見ながらお茶でも飲んでポツリポツリと会話でもしていたかも。
何年か経ってチャン・ビンは赦され、ヨンに請われて彼に従軍して後方で医療活動を行って
いたのかも・・・と妄想は広がりまくるのです(笑)

話は年表に戻ります。
王妃の死後、王は当時重用していたシンドン(辛旽)に政を一任してしまいます。

僧侶だったシンドンは1358年頃からしばしばケギョンの宮に出入りしていました。
イ・ジェヒョンが辞職して自分が行う政治について意見を求める人物がいなかった王。
仏教を信仰していた王はそのころから聡明なシンドンを重用するようになり、恭愍王は彼を
自身の政治改革の中心人物に据えましたが、生まれの卑しい(母親が奴婢でした)シンドンに
対する抵抗はかなりのものだったようです。
そもそも恭愍王もシンドンも民のための政治改革を目指していたわけですから貴族や自分の
勢力を拡大することしか考えていない人たちにとってはやることなすことが気に入らなくて
難癖をつけたのではないでしょうか。
(シンドンの改革は貴族の所有している土地、奴婢などを大幅に減らすものでした)
「高麗史」などではシンドンは人々を惑わす妖僧だったという表現もあったようですが、
近年になって功績は見直されるようになっているそうです。

王妃が亡くなり、政治への意欲を失った王は僧侶の身分だったシンドンを還俗させて自身の
改革を彼に任せてしまいます。
シンドンはそのころ王に政について意見を求められ、信頼も厚くなっていました。
私利私欲がない、どこの派閥にも属していないというのが王には魅力だったようです。
チェ・ヨンもまた私利私欲はなかったと思いますが、家柄が名門ですから貴族勢力の代表格
ともいえる存在です。
そういうこともあってか、シンドンはチェ・ヨンを慶州へと左遷します。
(慶州は今のプサンの北東に位置した都市?)

私の妄想では、シンドンがウンスにも王妃の死の責任を取らせようとしたのでヨンが彼女を
かばい、それで左遷されたのだという設定になっています(笑)

そして、この年には密かにもう一つ大きな出来事も起こっていました。
恭愍王の息子で高麗第32代の王となる禑王(우왕ウワン)が7/25に生まれたのです。
庶子とはいえ王妃が亡くなった今、世継ぎとなる男の子なのですが、このことは何年かの間
公にはされませんでした。

数年前。
王妃との間に跡継ぎが出来ないという問題が持ち上がったときにシンドンは自身の侍婢(侍女)
だったパニャ(般若반야)を王に差し出しました。
(僧侶なのに身の回りの世話をしていたのは女性だったのかなぁとちょっと不思議)
そして奇しくも王妃と同じ年にパニャも懐妊します。
パニャは身分が低かったからなのか、宮には入らずにシンドンの友人の母の家でお産をした
ようで、その子はそのまま宮の外で育つことになりました。

王の血筋を引く子ですが、もともとパニャはシンドンの侍女でした。
恭愍王はパニャが産んだ子供だと公表すればその子がシンドンの子供ではないのか?と糾弾
されることを憂慮したようです。
自分が政治を任せたシンドンの足を引っ張ることにもなると思ったのか、しばらくはこの
ことを公表しませんでした。

そして後にその子の存在を明らかにするわけですが・・・やはり王が危惧した通りになって、
そのことがイ・ソンゲたち新興勢力の新しい時代を築く口実となります。


ウンスがヨンの元に再び戻ったのは1355年。
彼女が戻ったと聞いて王も王妃も喜んで彼女と再会したでしょう。
王妃の喜ぶ顔を見て嬉しい反面、ウンスはそう遠くない彼女との別れを予感して少しだけ
憂いの表情を浮かべたかもしれません。
それでも今一緒にいる時間を大切にしたいからと笑みを浮かべたと思います。

王妃の死はそれから10年後の出来事でした。


次は王妃が亡くなった後の王を中心に書いていきます。


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今回は1356年~1364年までをご紹介します。

1356 奇皇后を後ろ盾にして権勢をふるっていたキ・チョルを王が粛清する。
1358 チェ・ヨン、倭寇を大討伐(倭寇船400隻を撃破)
   恭愍王の政治改革を主導していたイ・ジェヒョンが辞職する。
1359 紅巾賊の一次侵入。
    ⇒西京(서경ソギョン)が陥落され、チェ・ヨンが撃退。
      ※ソギョンは今のピョンヤンです。
1361 紅巾賊二次次侵入(10万人)。
    ⇒ケギョン(開京)まで侵入した紅巾賊をチェ・ヨンが撃退。
1362 紅巾賊を敗退させてケギョンを復興。
1363 内官アン・ドチ、王の身代わりとなって殺される。
1364 元に反旗を翻すコンミン王を倒してトックン君(徳興君덕흥군)を王にすげ替え
   ようとした奇皇后が一万の兵を率いて高麗に攻め入るがチェ・ヨンが討伐した。


恭愍王は元が内乱などにより衰退してきたことを見極めて1356年にキ・チョルたち奇一族と
それに連なる貴族たちを粛清しました。

そのころのヨンはというと・・・北方からは紅巾賊が攻めてきて、南方からは倭寇が攻めて
来て、高麗の民はいわゆる外敵に常に脅かされる状態でした。
なので恐らく兵を率いて北へ南へと遠征に出かけて討伐していたのではないでしょうか。

ちなみにチェ・ヨンは晩年までずっと外敵の討伐に北へ南へと行っていて、中央の政からは
遠かったようです。
記録にも、チェ・ヨンは一生を軍門に従事したが、知った顔は3、4人程に過ぎなかったと
評価するほど軍隊内の派閥争いからも遠かったという記述があるようです。
ただひたすらに高麗の民を外敵から守るために国内のあちこちへと出かけていたんですね。

ドラマの内容で妄想すると、この紅巾賊の侵入の際にはウンスも子供たちを連れて一時は
ケギョンから離れたのかなぁと。
それなら一時住む場所として水辺にある藁ぶきの・・・あ、外敵が船で来るから水辺はNG
かもしれない、だったらマンボ姉弟たちのところへ・・・と。
(ヨンはウダルチと一緒に紅巾賊と戦っているので留守にしているのだと勝手に妄想設定中)

妄想の基となる実在のチェ・ヨンの夫人やその子供については生没年が不明なのでこのときに
子供がいたのかどうかもよくわからない・・・と思っていたんですが、チェ・ヨンには孫娘が
いて、結婚していたことがわかっています。
あ、ちなみにチェ・ヨンには息子(チェ・ダム)と娘(名前不明)がいました。
ユ夫人のほかに一人だけ妾(名前、生没年不明)がいてその人が娘を産んでいます。
ヨンの子供たちのお話はもっと後でご紹介するとして・・・

1388年に孫娘が結婚していて20歳だと仮定して・・・その子が1368年に生まれているなら、ヨンの
子供が結婚したのがそのぐらいで、ということはヨンの子供が生まれたのは・・・1348年ぐらい?
はっ!1355年に再会してるから早く産まなきゃつじつまが合わない!と一人で妄想して一人で
焦っていた私です(笑)
なので再会したあとでウンスはすぐに子供を二人産んで・・・と妄想し直しました。
息子の名前のほうが先に記載してあったので恐らく男の子が先に生まれて、次に女の子が生まれた
と考えてそれが1357年?
その女の子が15歳ぐらいでお嫁に行って1372年・・・嫁いですぐに娘を産んでその子が母と同じ
年頃で嫁いだとすれば1388年に結婚していたという史実と・・・辻褄がやっと合います(笑)
昔の人は結婚が早かったですしね~(言い訳)

まあ・・・多分・・・実在のユ夫人はもっと早くに子供を産んでいたと思います、ええ。

話は年表に戻りまして・・・
恭愍王は自分の思い描いた政治を行おうとしますが、1358年の倭寇に始まり、翌年には紅巾賊が
ケギョンまで侵入して国力は疲弊し、衰退します。
儒学者で政治家のイ・ジェヒョン(ドラマに登場したあの偉い学者さんです)は恭愍王の改革が
思うように進まない責任をとって辞職を願い出て、王の前から去っていきます。
政に関する相談相手がいなくなり、このころから宮に出入りするようになったシンドンを側に
近づけるようになっていきます。

1362年に紅巾賊の戦乱が平定されたものの、また侵入されたらと思ったのか1363年2月にケギョン
から離れて一時的に興王寺(お寺かな?)に宮の機能を遷して政を行っていた恭愍王。
お寺で政を行っていたのはやはりシンドンの影響もあったのでしょうか・・・

1363年3月。
プ・ウォンベ(부원배附元輩)たちと結託したキム・ヨン(김용金鏞)は反元政策を試みた恭愍王を
殺害するために興王寺に彼の私兵50人余りを送ります。
この時王を警護していた者たちは皆逃げて多くの家臣たちが犠牲になり、その渦中でドラマにも
登場していた王の内官アン・ドチも殺されます。
アン・ドチは自分の顔つきが王と似ているからと王の身代わりとなって死ぬことを決心し、
宦官に王を背負わせて窓から逃がしたあと、自分は王の寝台に横になり、王と間違えた敵に殺害
されたというのが記録に残っています。(『高麗史』)
ドラマではこういった史実を踏まえて忠臣アン・ドチのキャラが作り上げられたのでしょう。

アン・ドチは王の代わりに死ねて幸せだったかもしれません。
きっと幸せだったと思います。
この後王の身に降りかかる不幸を目の当たりにしなくてよかったんですから・・・
(このお話は次回するつもりです)

1364年。
ウンスに毒を盛ったあの憎たらしいキャラだったトックン君(徳興君)が再び登場します。
史実によると彼は僧侶だったようで、恭愍王が即位するとすぐに元に逃げています。
ドラマでもトックン君はヨンたちの追跡を免れて元へと逃げて行きました。
そんなトックン君ですが、やはり次の王に近い存在という手駒として元に使われたようで、
兵を率いて1364年に高麗へと攻め入ります。
でもヨンやイ・ソンゲたちの高麗軍に負けて元に戻り、翌年の1365年には「君」の称号を奪われて
永平府(영평부ヨンピョンブ)に流刑にされたようです。
(永平府がどこにあるのか不明。中国の地名だとは思うのですが・・・)

この当時高麗における仏教の勢力は貴族を後ろ盾にしてかなりの力を持っていたようです。
そのため朝鮮王朝を開いたイ・ソンゲは高麗時代の旧勢力を弱める目的で仏教を弾圧しました。
(イ・ソンゲを支持する層が儒教勢力だったこともあるようです)
ちなみにイ・ソンゲは後年になって息子たちが王位継承で殺しあうようになり、そんな事態に
ほとほと嫌気がさして寺にこもり、念仏に明け暮れたとか。
仏教を弾圧した人が仏教にすがる・・・というヘンテコな構図が出来上がるわけです。

トックン君はどうして元へ逃げたのかを考えてみると・・・
恐らくドラマ通りで次の王に一番近かったか、或いは恭愍王が王に推されたときの対抗馬が
彼だったのかもしれません。
僧侶だから俗世とは縁を切ったと主張しても、それは「還俗」すればクリアされる話です。
「還俗」とは、俗世を離れて僧侶という身分になった人が再び俗世に戻ること。
キョンチャン君は王が帰国した翌年に殺害されました。
トックン君は自分の身を守るために元へと逃げたのかなぁと。
彼の生没年は不明ですが、忠恵王と恭愍王の父である忠粛王は次男で、トックン君は六男。
(忠粛王とトックン君の母親は違います)
どちらかといえば甥たちと歳が近かったのかもしれない・・・だから王の対抗馬になり得た
んだろうなぁと勝手に想像していました。
恭愍王が元に反旗を翻した場合、元は当然ながら他の人物を擁立しようとするでしょう。
それを見越して恭愍王もしくは彼を支持する者たちが候補になりそうな者たちを消した、
もしくは消そうとしたのかもしれません。

次回は1365年について記事をアップする予定です。
高麗末期について年表の続きを作って大まかに説明しようと思ったのですが・・・

韓国や日本のウィキペディアの情報だけでもかなり量があって、記事として
書きたい出来事がいくつかあるので、何回かに分けて書いていくことにします。

内容にはネタバレというかドラマのその後の史実が書いてあるので、
知りたくない、まだ見たくないという方は読み飛ばして下さいね。

なお、この記事にはちょいちょいというか頻繁に私の妄想が登場します。
それについてはあまり気にせずスルーしてくださいナ。

まずは、1351~1355年までの出来事をご紹介。

1351 忠定王(慶昌君:キョンチャン君)14歳で廃位
   恭愍王(第31代)が高麗に帰国して即位<20歳>
   ヨン、ウンスと出会う【ドラマ設定】
   キョンチャン君が毒を飲んで死ぬ【ドラマ設定】
   チョ・イルシンが謀反を企てた末に殺される【ドラマ設定】
   キ・チョルが死亡する【ドラマ設定】
1352 キョンチャン君が毒殺される。
   チョ・イルシンが謀反を企てて、ヨンたちが制圧する。
    ⇒この出来事でによりチェ・ヨンは護軍(호군ホグン)になる。
1353 奇皇后が生んだアユルシリダラが皇太子として冊立[於:元]
1354 ワンゴの孫トッタブラ?が瀋王の座に就く。
   元の山東省で紅巾賊の反乱が起き、元はコンミン王に討伐のための援軍を要請。
    ⇒チェ・ヨンは大護軍(대호군テホグン)の大将軍として二千人を率いて遠征。
     元で待機中だった高麗人二万人と合流して指揮した。
1355 遠征から戻ったヨンに王は失地回復を命じる。
    ⇒鴨緑江を越えて遼東半島まで元に奪われていた高麗の土地を取り戻す。
     この失地回復の際に活躍したのがイ・ソンゲとその父だった。
   (ドラマでウンスが戻ってきたのはこの失地を奪い返したあとのことです)
   ウンス、ヨンの元へ戻る【ドラマ設定】

ドラマはフィクションなのでいろんな出来事がいっぺんに起こっていますが実際の出来事は
もう少し時間が開いています。

ドラマ的な話をするとウンスが百年前に飛ばされている間にヨンはずっと遠征に出ていた
ようですね。
遠征先でふとしたときに彼女を思い出したりしていたはず・・・と、妄想(笑)

紅巾賊は漢民族で構成されていたそうです。
元という国がモンゴル族から興ったことを考えるとその反勢力ということですね。
恭愍王はまだ奇皇后の力が強いと判断したのか、後に紅巾賊が高麗にも侵攻してきたら
困ると考えたのか、元の要請に応じてヨンを大将として援軍を出しました。
奇皇后の息子が皇太子になったのが1353年。キ・チョルたち奇一族はまだまだ元を後ろ盾に
した勢力が強い感じですね。
なので王はまだ彼らの勢力を排除していません。

元の遠征から戻ったヨンを今度は失地回復へと行かせた恭愍王。
鴨緑江の近くにあった天の門はドラマの当初は元の土地でしたよね?
もうすぐ高麗なのになんでここで留まるのかとチョ・イルシンが怒っていましたから。
ウンスが傍にいない間にヨンはイ・ソンゲたちの活躍もあって元々は高麗の土地だった
遼東半島などの土地を奪い返します。
なので最終回でウンスが天の門をくぐって1355年に戻った際には天の門があった場所は
高麗の土地になっていたということです。
ウンスに質問された下っ端のウダルチが
「そんなことも知らないなんて山にでもこもっていたんですか?」みたいなことを
言うのはそういう経緯があったからです。
あのとき天の門の近くにウダルチたちやヨンがいたのは取り戻した土地の巡回査察でも
していたのかなぁと思います。

1355年であれば失地回復直後だからヨンやウダルチたちが天の門の近くを通っても不自然
じゃないはずということでソン・ジナ女史はウンスが戻る時間を1355年にしたのかも
しれませんね。

【おまけ】
キョンチャン君には子供がいたという記述を見つけました。

王濟(ワンジェ왕제)生没年不明。

「高麗史」、「高麗史節要」のどちらにも記載はありませんが、王(왕ワン)家の家系図には
名が残っているようです。
従一品の官職についていたという記録がありますのでそこそこの要職についていたのでは
ないでしょうか。(上から二番目の官職なので)

キョンチャン君が忠定王として在位していた間ずーーっと母であるユン氏が摂政をして
いたそうです。
王が幼いからという理由でユン氏が政(まつりごと)を執り行っていたわけですね。
8歳で亡くなった前王の忠穆王もやはり母の徳寧公主が摂政をしていました。
なのでキョンチャン君が在位していた間は元の勢力を後ろ盾にした先王の母徳寧公主と現王の
母ユン氏の親戚が勢力争いを繰り広げていたわけです。

キョンチャン君が病弱だったという記述は見つけられませんでした。
ドラマ設定なのかな?もう少し詳しく調べれば判ったかもしれません。

【その他】
「高麗史」と「高麗史節要」は高麗王朝の初代から末代までのことを記した記録のことです。
高麗史は137巻、高麗史節要は35巻から成ります。
高麗史節要は高麗史の節要(ダイジェスト)ということでそんな名前になっていますが、
高麗史を編纂した人とは別の人が独自に編纂しているので高麗史に記載されていない内容が
あったり、高麗史より詳しく記述されている記録があるそうです。

李子朝鮮時代にイ・ソンゲが高麗史を編纂するように命じ、60年をかけて編纂されました。
この高麗史の編纂の際には高麗王の歴代の記録をはじめとして公的なものから私的な文書や
書籍を参照して作られたとされています。

しっかーし・・・「高麗史」と「高麗史節要」が成立した後にそれらの基になった資料は
大部分が消失または焚書(焼き捨てること)されてしまい現存していません。
朝鮮王朝は出来上がった「高麗史」と「高麗史節要」が国によって編纂された正式な歴史書
だと広める一方で、明からの歴史書は禁輸し、所持することも許しませんでした。

ご紹介する情報のほとんどはこの二つの正史からのものだと思われます。
でも朝鮮王朝の成り立ちを考えたとき、特に高麗末期についてはその内容について疑問視
される部分があるようです。

次は1356年から1364年までを辿っていきたいと思います。

なお、内容についてはネットの情報を拾って集めて訳しているので(私が)間違って
いることが多いですし、そもそもの情報源(ウィキペディア)が間違っている
こともあると思われます。
なので信義のドラマや小説を見たり読んだりする際の参考程度に留めて頂ければと思います。
ずっと気になっていたタイムスリップについて考えてみました。

あの百年前のウンスは誰だったのかという点に着目して2つ考えていて。
私たちが見ていたウンスと同一人物だったのか、そうではなかったのかと・・・

一つ目の考え。

・・・時間軸が一つではなく、いくつか存在していてそれらの時間軸それぞれに
ウンスという人物が存在するという考えです。

ウンス別人
【Aウンス】
´①ヨンに連れられて現代から高麗へタイムスリップ 2012⇒1351
´②現代に戻ってカバンにいろいろ詰め込む 1351⇒2012
´③再度タイムスリップして1351年のヨンがいる時代へ向かうが、
  その時代よりも百年前にたどり着いてしまう 2012⇒1251 ※別次元へ

【ウンス】私たちがドラマで見ているウンス
①ヨンに連れられて現代から高麗へタイムスリップ(ドラマ第一話)2012⇒1351
②現代に戻ってヨンを助けるためカバンにいろいろ詰め込む(ドラマ最終話)1351⇒2012
③再度タイムスリップして1351年の瀕死のヨンがいる時代へ向かうが、
  その時代よりも百年前にたどり着いてしまい、その地で一年暮らす(ドラマ最終話)2012⇒1251 ※別次元へ
④一年後、天の門をくぐって一旦現代へ(ドラマ最終話)1251⇒2012 別次元から元の次元へ戻る
⑤すぐまた天の門に入って、自分を待っているヨンのもとへ戻る(ドラマ最終話)2012⇒1355

Aウンスの世界では王妃が亡くなり、王は斃れてヨンが若くして死んでしまうということになります。
過去に飛ばされたAウンス(´③の赤線)は百年後にあの出来事が起こるならばどうしてもヨンを
助けたいと考え、手紙や手帳を書いたのだと思います。
(Aウンスは違う次元に飛ばされたとは知らなかった、知る由もなかったでしょう)

Aウンスがその後どうしたのか・・・やっぱり同じように天の門をくぐって一旦現代に戻ったものの、
すぐにまた天の門に入って瀕死のヨンのもとに戻ったのだと思います。
彼の傍にいたいと願ったのではないかと。

ウンスはAウンスが残してくれた手帳や手紙があったので、二人で逃げたときも頑固なヨンを説き伏せて
宮に戻ることができて、彼の心を救うことができました。
戻れば自分は死ぬかもしれないという考えよりも、彼を喪いたくなくないという気持ちが強かった。
それだけあのフィルムのAウンスの手紙が身に迫ったものだった、切実だったのだと思います。

そうやって彼を救ったのに、切羽詰まったキ・チョルが二人を襲ってヨンは瀕死の状態になり、
ウンスは現代へと飛ばされてしまいます。
彼を助けるのに役立ちそうなものをカバンに詰め込んで急いで天の門をくぐりますが、辿り着いた場所に
ヨンはおらず、百年前の(違う次元の)高麗に一人残されたウンス。

ここで話はちょっと変わりますが・・・
作者は想いの強さが天の門を開くといい、過去にウンスが飛ばされたのは気持ちが足りなかったからだと
いう見解を前に述べられていたような気がします。(あやふやですが)

ヨンは高麗から現代に来てウンスを連れ去るまでけっこう時間がかかっていたと思いますが、彼が高麗に
戻ったときには天の門に入ってからほんの数秒しか経っていなかったようです。
ヨンが高麗へ戻りたいという気持ちが強かったから時間の差がそうだったの?と何となく腑に落ちず。

最終回でウンスは現代に戻ります。
彼女は拉致されたコエックスではなく、自分の勤務する病院へ行って必要なものを取ってきます。
同じカンナム地区なんでしょうが、コエックスから近いのか遠いのかは不明。
で、再び天の門をくぐって瀕死のヨンのもとへ戻ろうとしますが、着いたのは百年前。
彼女の気持ちが足りなくて彼のもとへ戻れなかったということだそうですが・・・
ウンスの滞在時間はたぶんヨンが現代に来た時よりも短いと思うし、あのときのヨンの気持ちにウンスの
気持ちが負けているのかとは思えず。

なので私はウンスが過去に飛ばされたのは別の次元のウンスに手紙と手帳を残すという役割があったので
そうなったのだと思っています。
ウンスは別の次元にいるBウンスに手紙と手帳を残し、役割が果たされたのでウンスは元の次元に戻ることが
できて、ヨンのもとへと行く事ができたのだと。(なぜ4年後なのかはわかりませんが・・・)


ずっとこの考えだったんですが・・・やっぱりドラマで見たあの百年前のウンスのさみしそうな顔が
どうも気になっちゃって・・・

それで、もうひとつ考えました。

二つ目の考え。
ウンス
①ヨンに連れられて現代から高麗へタイムスリップ(ドラマ第一話)2012⇒1351
②現代に戻ってヨンを助けるためカバンにいろいろ詰め込む(ドラマ最終話)1351⇒2012
③再度タイムスリップして1351年の瀕死のヨンがいる時代へ向かうが、
  その時代よりも百年前にたどり着いてしまい、その地で一年暮らす(ドラマ最終話)2012⇒1251
④一年後、天の門をくぐって一旦現代へ(ドラマ最終話)1251⇒2012
⑤すぐまた天の門に入って、自分を待っているヨンのもとへ戻る(ドラマ最終話)2012⇒1355

流れとしてはこうなります。

百年前のウンスを仮にAウンスとして・・・
Aウンスはヨンに連れられて高麗1351年にタイムスリップします。そしてドラマと同じように二人は
宮を離れて、天の門へ向かいます。
このときのAウンスは宮に戻れば元に連れていかれて殺されるということをヨンから聞いていたのだと
思いますが、戻らなければ王や王妃が危険になるという手紙などは受け取っていなかったのだと思います。

でもそれだと・・・トックン君がヨンを殺そうとしたあのときはどうやって危険を回避したのかという
ことになりますが、Aウンスの場合にはトックン君から提案があったのかもしれません。
「彼を爆薬で殺す計画がある。助けて欲しければ私の手を取れ」とでも言われたのかなぁと。

宮が気になったでしょうが・・・ウンスの身を守るために戻らないことを決めたヨン。
でも、ヨンが傍にいなかったために結局王妃は命を落とすことになり、王は心が折れてしまいます。
王と王妃を襲った出来事についてヨンは自分を責め、心が死んでいきます。
そんなヨンを傍で見ているしかなかったAウンス。

やがてヨンが瀕死に陥ったので・・・Aウンスはヨンを救うために天の門をくぐります。
或いはヨン自身が自分の傍にいたらやがて彼女も心が死んでしまうと思って無理やり天の門をくぐらせ
たのかもしれません。共にはいられない運命の人だったのだと彼女を自ら手放したのかも。

Aウンスは現代に戻って医療道具をカバンに詰めてもう一度高麗1351へ戻ろうとしますが同じように
高麗1251に飛ばされてしまったのだと思います。
過去に飛ばされたことを知ったAウンスは百年後にあの出来事が起こるのであれば、なんとかして
ヨンを助けたいと思って手紙や手帳を残し、そしてもう一度天の門をくぐったAウンス。

Aウンスの行き先は2012年ですが、日付はコエックスで講演していたあの日へと戻ります。
ヨンを助けたいと願ったAウンスの望みは叶い、時間は彼女がヨンと出会う前まで巻き戻されます。

小説やドラマでは時間旅行をする人はだいたいが記憶を持ったままというのがセオリーですが、
Aウンスの場合は記憶もリセットされて、私たちが知るウンスとしてヨンと出会うことになります。
彼女はもちろんヨンも王も王妃もみな時間を巻き戻してやり直している記憶は全くありません。
ただ、ヨンの笑顔など見たこともないのに夢で見たり、彼と何度も二人で歩いたような覚えがあると
いうのはAウンスとしてのころの幸せだった記憶が頭の片隅に残っていたのかもしれません。
ヨンもまた二人で逃げてしばらくの間一緒に藁ぶきの家で一緒に暮らしたころの記憶があり、それが
彼の願望として浮かび上がってきたのかも。

・・・だけどこれって大きな矛盾があるんですよね。
Aウンスが2012年に戻った時点ですべてがリセットされるなら彼女が書いた手紙や手帳もリセット
されてしまうわけです。
うーん、うーん・・・・手紙と手帳はそのまま存在することを許してもらえないかなぁ

それにしてもタイムスリップものってなかなかややこしいですね(笑)
よくあるタイムスリップものって入り口と出口の場所は同じじゃないですか?
時間軸だけ変わって、場所はそのままっていうことが多い気がします。
でもこのドラマって高麗の天の門は中国との国境近くだし、現代の天の門はソウルにあるし・・・
ま、ドラマですしね。

ヨンとウンスは最終回で天の門の前で門の向こうにいるであろうウンスの両親に向かって挨拶を
しようとしました。
天の門が開いているから二人で門をくぐって挨拶しに行ってもよかったのでは?と思う方も
いらっしゃるかもしれません。
でもヨンもウンスも「天の門は簡単に通るものではない」と思っていたのではないでしょうか。

ウンスの計算では次に高麗1351年から現代へと天の門が開くの69年後だったと思います。
今開いているからといって現代に戻って両親に挨拶しに行って、現代2012から高麗1351に戻る
天の門が再び開いている保証はどこにもありません。

ウンスは最終回でキ・チョルに説明するときに太陽の黒点が影響しているのではないかと話し、
テジャンは一度行って戻ってこれたけど、あなたは初めてだからどこに飛ばされるのかわからない
というような話をしていました。
ウンスは天の門がとても不安定で不確かなものだという認識だったと思います。

それで思ったのですが・・・気持ちが足りないっていうのは「天の門を信じる気持ち」が
足りなかったっていうことだったのかなと。
あ、でもヨンも天の門を100%信用して入ったわけではないし(笑)
戻るときにはこれはやっぱり天の門だったんだと思って入ったから時差が少なくて済んだのかな?
ウンスがカバンに道具を詰め込んで戻るときに天の門を「ちょっと不確かなもの」だと思ってくぐった。
だからヘソを曲げた天の門が百年前の過去に飛ばしちゃったとか。
で、高麗1251に飛ばされたウンスは「ごめんね、信用するからどうかあの人のいる時間に連れていって」
と強い気持ちで願ったので彼のもとへ戻してくれたとか。

あと、ウンスがタイムスリップするときはいちいち現代2012に一旦戻るんですよね。
高麗1351⇒現代2012⇒高麗1251
高麗1251⇒現代2012⇒高麗1355
それはもともとウンスが現代2012の人間だからでしょうか?
「(現代に)戻るっていう選択もアリだよ」という天の門からの救済措置かしらん?

あれこれいろいろと考えてみた結果・・・理論とか計算とか関係なく・・・

『天の門のさじ加減』
というのが一番しっくりきました(笑)
いやもう、単に考えるのに疲れただけです・・・はい。